自然不言不語

釣(つり)も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易(わい)安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱(いだ)かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅(きら)びやかな境界(きょうがい)に神経を消耗(しょうこう)させながら享受する歓楽などよりも遥(はるか)に嬉(うれ)しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行(ゆぎょう)したり寝転んだりして魚(うお)を釣ったり、魚の来ぬ時は拙(せつ)な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘(うま)い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然不言不語(ふげんふご)に悟らされていた。
 丁度秋の彼岸(ひがん)の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出(い)でては、中川べりの西袋(にしぶくろ)というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大(おおい)に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾(いちきょくわん)なのであった。中川は四十九曲(しじゅうくまが)りといわれるほど蜿蜒(えんえん)屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という称(しょう)も生じたのであろう。


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