幸田露伴
今を距(さ)ること三十余年も前の事であった。 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康(あんこう)の生活に浸(ひた)って、朝夕(ちょうせき)を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。 心身共(とも)に生気に充ちていたのであったから、毎日の朝を、まだ薄靄(うすもや)が村の田の面(も)や畔(くろ)の樹(き)の梢(こずえ)を籠(こ)めているほどの夙(はや)さに起出(おきで)て、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛(ゆる)やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の倦(う)んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。 川添いの地にいたので、何時(いつ)となく釣魚(ちょうぎょ)の趣味を合点(がてん)した。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。丁度(ちょうど)その頃一竿(いっかん)を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川(なかがわ)べりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来(ゆきき)も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川(すみだがわ)沿いの寺島(てらじま)や隅田(すみだ)の村でさえさほどに賑(にぎ)やかではなくて、長閑(のどか)な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋(ひらいばし)から上(かみ)の、奥戸(おくど)、立石(たていし)なんどというあたりは、まことに閑寂(かんじゃく)なもので、水ただ緩(ゆる)やかに流れ、雲ただ静かに屯(たむろ)しているのみで、黄茅白蘆(こうぼうはくろ)の洲渚(しゅうしょ)、時に水禽(すいきん)の影を看(み)るに過ぎぬというようなことであった。
